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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4919号 判決 1975年8月07日

原告 吉池産業合名会社

右代表者代表社員 高橋与平

右訴訟代理人弁護士 小林宏也

同 本多藤男

同 長谷川武弘

被告 株式会社太光堂

右代表者代表取締役 会田芳明

右訴訟代理人弁護士 桜井英司

同 中村源造

主文

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、昭和四七年一月一日以降右完済に至るまで、一ヶ月金七三、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

主文同旨の判決ならびに仮執行の宣言

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張事実

(請求の原因)

一  原告は、昭和四六年一二月二一日訴外田中弥生(以下、田中という。)より別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)を買受け、同日その旨の登記を得て、これを所有している。

二  被告は、同日以前より右建物を占有している。

三  本件建物の昭和四七年一月一日以降の賃料相当額は、一ヶ月金七三、〇〇〇円である。

四  よって原告は被告に対し、所有権にもとづき本件建物を明渡し、原告が本件建物を取得した後である昭和四七年一月一日以降右明渡済みに至るまで、一ヶ月金七三、〇〇〇円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。

(認否)

すべて認める。

(抗弁)

一  田中は、昭和二一年三月頃本件建物を建築し、これを訴外木村幸吉(以下、木村という。)に賃貸し、木村は本件家屋でカメラ、眼鏡店を経営してきた。

二  木村は、昭和三九年一月二三日右カメラ、眼鏡店を法人化して株式会社木村太光堂(昭和四二年六月一日被告の現商号に変更)を設立して本件家屋の賃借権(以下、本件賃借権という。)を被告に譲渡し、又は本件家屋を転貸した。

三  田中はその頃被告に対し、右賃借権の譲渡又は転貸借を明示的に承諾し、仮にそうでないとしても、被告より賃料を受領する等して、これを黙示的に承諾した。

四  仮に右承諾が認められないとしても、被告会社は、木村が従前から経営してきたカメラ、眼鏡店を法人化した個人会社であったから、被告に対する本件賃借権の譲渡又は転貸借は、背信性を欠くものである。よって被告は、本件賃借権をもって、原告に対抗しうるものである。

五  仮に以上の主張が認められないとしても、原告は、本件建物の明渡請求を計画して本件建物の所有権を取得したものであるところ、被告は、従来賃借人としての義務を遵守し、本件建物を唯一の店舗として、ここより挙る収益により、従業員七名及びその家族の生計を維持しているものであるから、本件家屋の明渡請求は、被告及び従業員の死命を制するものとして、信義に反し、権利の濫用として許されないものというべきである。

(認否)

田中が被告主張の頃本件建物を新築し、これを木村に賃貸したこと、被告会社が被告主張の頃設立され、田中が被告に本件建物の賃借権を譲渡したことは認めるが、その余の主張は、否認する。

原告は、被告会社が設立され、これに本件建物の賃借権が譲渡されたことは、当時全然知らず、太光堂とは、木村の経営するカメラ、眼鏡店の商号と思い込んでいたものである。

(再抗弁)

一  被告会社が昭和三九年一月二三日株式会社木村太光堂として設立された当時、右会社は、木村の従前の営業を法人化した同族会社であったが、木村は、昭和四一年三月二八日右会社の全株式を被告会社の現在の代表取締役である会田芳明(以下、会田という。)に譲渡し、従前の取締役及び監査役は全員辞任したので、新たに会田が被告会社の代表取締役に就任するとともに、昭和四二年六月二日その商号を現在の株式会社太光堂に変更した。

二  従って、本件賃借権の被告会社への譲渡が、当初右会社が木村の同族会社であったため背信性を有していなかったとしても、その後会田が被告会社の全株式を取得して代表取締役に就任し、その営業権を完全に支配するに至った時点からは背信性を有し、田中及びその承継人たる原告に、その賃借権を対抗しえなくなったというべきである。

(認否)

会田が代表取締役になった時点より、被告の賃借権が田中及び原告に対抗しえなくなったとする点は争い、その余は認める。

(再々抗弁)

会田は、被告会社の全株式を取得して代表取締役に就任した後、田中に対しその旨を告げて、同人の承諾を得た。

(認否)

否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告主張の請求原因事実については、すべて当事者間に争いがない。

二  よって先づ被告が原告に対抗しうる賃借権を有するかどうかについて判断する。

1  田中が昭和二一年三月頃本件建物を建築し、これを木村に賃貸し、木村はここでカメラ、眼鏡店を経営してきたこと、木村は、昭和三九年一月二三日右カメラ、眼鏡店を法人化して、株式会社木村太光堂を設立し、本件賃借権をこれに譲渡したことについては、当事者間に争いがない。

2  被告は、田中が右賃借権の譲渡をその頃明示又は黙示的に承諾したと主張するが、右主張事実を認めるに足る証拠はない。

3  会田が昭和四一年三月二八日木村より被告会社の全株式を譲受け、被告会社の代表取締役に就任して、その経営権を取得したことについては、当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、会田は、木村が経営していた当時の被告会社に対し、多数の融資をしていたが、経営不振のため右貸金の回収ができず、木村よりその代物弁済として前記株式の譲渡をうけ、被告会社の経営権を取得したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

4  被告は、会田が代表取締役に就任後田中に対しその旨を告げて、田中の承諾を得たと主張し、≪証拠省略≫中には、一部これと符合する部分もみられるが、右各証拠はいずれも採用できず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

却って≪証拠省略≫を総合すると、

(一)  田中は、木村が経営するカメラ、眼鏡店の商号が太光堂であったところから、家賃の領収証の名宛人を太光堂と表示したこともあったが、被告会社の設立された後もその事実を全く知らなかったこと、

(二)  弁護士多賀健次郎は、田中の委任をうけて、昭和四一年以降、借家人に対する賃料の値上交渉等を行ってきたが、本件家屋の借家人は木村であると考え、同人が昭和四三年四月二五日死亡した後は、木村幸吉の相続人を名宛人として賃料の増額請求をし、又田中が昭和四六年一二月二一日本件家屋を原告に譲渡した時も、木村幸吉の相続人宛に、その旨の通知をしていること、

が認められ、右認定に反する証拠はない。

5  以上の認定事実によれば、昭和三九年一月二三日株式会社木村太光堂の設立とともになされた木村より被告への本件賃借権の譲渡は、右会社が木村の従前より経営するカメラ、眼鏡店を法人化したいわゆる同族会社であった故に、田中との間の信頼関係を破壊するものとは認められなかったけれども、会田が昭和三九年一月二三日被告会社の全株式を取得して、その経営権を掌握した後は、被告会社は木村との関係を一切清算してその実態を一変し、田中の承諾が認められない以上、被告は田中又はその承継人である原告に対し、本件賃借権をもって本件家屋に対する占有権原を対抗することができなくなったというべきである。

三  被告は、本訴請求は権利の濫用である旨主張するが、右主張を認めるに足る証拠はない。

四  そうすると原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野崎幸雄)

<以下省略>

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